バレリーナである前に、すてきなレディでありますように! Vol. 14
2020年もあと3か月を切りました。今年はチャイコフスキー生誕180 年の年でもあり、本来ならば、
代表作の「眠れる森の美女」が各地の劇場で上演されるはずでした。
この回はこの作品の誕生 にスポットを当てます。
「眠れる森の美女」は ロシア古典の生み出した最高傑作 。
初演振付はマリウス・ プティパ 。
ロマンチック・バレエからロシア・バレエへの過渡期に、 彼はペテルブルグへ自ら出向きます。
はじめは演技派の踊り手として名を馳せますが、自分の才能は振付にあると信じ、その機会を待っていました。
時、来たり、 1862年「ファラオの娘」を振付、盛名は一気に上がりました。
そして 「海賊」、「ドン・キホーテ」など の振付を続けます。
1888年、時の帝室劇場総裁イワン・フセウォロジスキー(1835~1909) は前年、イタリア生まれの大スペクタクルの作品「エクセルシオール」が大変な成功を収めていることに刺激を受け、豪華、壮大な作品を とシャルル・ペローのおとぎ話を題材に「眠れる森の美女」の台本をプティパの意見を聞きながら書き上げることになります。
二人の良好な関係から生まれたもの で、 チャイコフスキーに作曲を頼んだことも功を奏しまた。
チャイコフスキーはこの台本を受け入れ、プティパと緊密に作曲に取り掛かります。
プティパが、 オーロラ姫の最初のヴァリアションはヴァイオリンとチェロのピチカート、ハープの使用を要望、第 1幕終わりのカラボスが正体を現すところはフルオーケストラで、など具体的に指示し 、お互いが 協力的であったため 、わずか40日で書き上げたのでした。
ロシア・バレエ確立に 心身をささげた振付家マリウス・プティパ、音楽、美術に造詣が深く公正無私の政策で臨んだ帝室劇場総裁 イワン・フセウォロジスキー、そして美しいメロディーの宝庫のチャイコフスキー 、それぞれの最高の業績の結合であったのですね。
初演時に青い鳥を踊ったのはエンリコ・チェケッティ、独自のメソッドの創設者であることも 興味深いです。
その後、この作品は各地で多くの振付家による上演が繰り返されて今日に至ります。
ちなみに、関西支部のバレエ芸術劇場では1975年の初演(振付 法村牧緒 友井桜子
小西美智子 橘 照代 以来6度 の上演を、
2021年第48回バレエ芸術劇場でも取り上げる予定でした。
アフターコロナ、「眠れる森の美女」を堪能できる日が待ち遠しいです。
初演1890 年 1 月 15 日 ペテルブルグ マリ イ ンスキー劇場
台本イワン・フセウォロジスキー、マリウス・プティパ
音楽ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
振付マリウス・プティパ
参考文献
バレエ千一夜 薄井憲二 新書館
バレエ誕生から現代までの歴史 薄井憲二 (音楽之友社)
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